東日本大震災の津波で、妻の祐子さん(当時47)が行方不明になった高松康雄さん(65)=宮城県女川町=は毎月、深さ30メートルの海底に潜る。「家族が諦めるにはまだ早いよ」。11日で震災から11年3カ月。妻の手がかりを捜し続ける。
約30年前、祐子さんとお見合いで出会った。最初のデートは松島町の水族館。優しい笑顔にひかれ、話も合った。「いいなあ」。結婚し、2人の子どもに恵まれた。「おっかあ」「おっとう」と呼び合った。
2010年冬、康雄さんは長年勤めた航空自衛隊を定年退職し、翌春からはバス運転手の仕事が決まっていた。それまでは女川の自宅でゆっくり過ごそう。近くの七十七銀行女川支店で働く祐子さんを毎日、車で送った。
あの日。地震の後も高台にある自宅は無事だった。約30分後、職場の祐子さんからメールが届いた。
「大丈夫?帰りたい」。文面を見て、祐子さんも高台に避難できていると安心した。翌日、高台の病院に避難していると思い、迎えにいった。しかし、見つからなかった。
知人から「支店の屋上から津波に流される行員を見た」と聞いた。康雄さんは崩れ落ちそうになった。
海での捜索活動「自分も潜れないか」
支店近くのがれきを捜し回り、12年には銀行の安全配慮義務違反を問う裁判をほかの家族と起こした。
「家族の捜索の要望に応じる」という新聞記事を読み、13年、宮城海上保安部に捜索を依頼した。海での捜索活動を見ていて思った。「自分も潜れないか」
インターネットで近くのダイビングショップを検索し、ボランティアで捜索を続けるダイバーの高橋正祥さんと知り合った。一から潜水を教わった。
約1年間の訓練を経て、少しずつ深く潜れるようになった。今、集中的に捜すのは海底30メートルの暗闇の世界。水中ライトの明かりを頼りに車や建築資材などがれきの周りに目をこらす。
一度で潜れるのは20分程度。沈んだ車のナンバープレートも読めないほど腐食が進み、がれきにはフジツボが増え始めた。11年分の泥もたまり、捜索は難しさを増す。「お金が何億円もあって、がれきを全て陸にあげたら見つけてあげられるのに」と考えてしまう。
今年1月、福島県大熊町で女児の遺骨を父親が見つけたというニュースを聞き、意を強くした。
「がれきの下にいるのか。もっと沖合にいるのか。分からないけど、自分にできることは捜し続けること以外にない」
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屋上に避難し、行員ら12人が犠牲になった七十七銀行女川支店の4家族がつくった町内の慰霊碑が、周りの区画整理事業が終わったため、約150メートル離れた場所に移転され、11日にお披露目の式典があった。
碑には「命を守るには高台へ行かねばならぬ」と刻まれ、毎年3月11日には多くの人が集まる。康雄さんは「まだ8人が行方不明のまま。『早く帰ってきてほしい』とこれからも祈る場所です」と話した。(福岡龍一郎)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル